今年も2月22日が終わりました。
8年になります、姉が亡くなって。
早いような、そうでもないような。
今年の2/22は、谷中のカフェで夜を過ごしました。
「夜の読書館」という本を読むための時間のカフェ。
声を発してはいけないルール。おもしろいですよね。
レコードをBGMに、静かに本を読みました。
すごく気持ちが集中できて、頭がすっきりしました。
帰り道はとても寒くて。
電車の中でぎゅっと目をつぶったら、姉のことを考えていました。
おねえちゃんは思えば優しい人だったなあって。
いつも「和」の人で、波風たてないようにしてて。
わたしはそんな姉に甘えて、いつもすぐにキレて怒って。
どうでもいいことにわたしは腹をたて、1年以上連絡とらなかったこともありました。
わたし、バカでした。
親のような姉に思いっきり甘えてて。
そんなことばかりを考えてしまう。
8年経っても「ごめんね」ばかりです。
あと数日で、これまでのサイト(http://ayuko.petit.cc/)を閉じることにしました。
契約をやめるとすべてのデータが消えるので、ふと日記を読み返してみました。
以下の文は2013年3月のある日の日記です。割と本音を書いています。
* * * * *
映画「愛、アムール」を観た
なぜこの映画を見たか
主人公のアンヌ役を演じた、エマニュエル・リヴァさんが義母のマミーちゃんにそっくりだったから
色白でしみひとつなく、しわもほとんどなく、
どの病院に行っても「お母さん、きれいなおばあちゃんね」と褒められた自慢の義母は、去年5月に天に召された
自分のほんとうの親よりも、私はマミーちゃんのことが好きだった
祖母と孫のような年の差だったということもよかったのかもしれないが
なによりも、マミーちゃんは優しくて楽しい人だった
ユーモアがあって笑顔もあった
自分のわがままをいっさい言わない人だった
(もちろん、嫁の私に気を使っていたのだと思うけれど)
マミーちゃんが東京に来てくれたおかげで
「ほんとうの家族の風景」というものを生まれて初めて知ったような気がした
すごく嬉しかったし幸せだった
同居から最期までの5年半、ほんとうにいろんなことがあった
どきどきするようなことがたくさんあった
経験したことはすべてが初めてのことだったけれど
でもおかげで、病院も病気もICUも介護も怖くなくなった
病院を転々としたあと、マミーちゃんを安心して預けられる病院がみつからず
自宅に戻して介護を始めた
覚悟はしていたけれど、精神的に壊れることが多くなった
無意識で声がとまらないマミーちゃんにどなってしまったことが数回ある
あのときは、自分で自分をとめられなかった
なんでそんなことをしてしまったのだろう
私は最低だと思う
* * * * *
この映画は、病気のアンヌを介護していく夫の献身的な姿がストーリーの半分以上を占める
病気の進行に伴い、アンヌはまともではなくなってゆき、夫の負荷は高くなってゆくばかり
アンヌとマミーちゃんが重なって見えてしまい、ほぼ全編涙がとまならなかった
介護の大変さも思い出したけれど、
介護されるほうの辛さも映画から伝わってきたからだ
ある日、おもらしをしてしまい、強烈なショックを受け自分を恥じるアンヌ
泣き崩れ興奮するアンヌをなだめる夫
マミーちゃんも同じだった
おもらしやパンツのなかで尿が出てしまったことをとても恥じていた
私の知らない間に、生理用のナプキンをヘルパーさんに買ってきてもらい、
いつもそれをパンツにつけるようになった
昨日までできていたことが今日はできない
人間としてステージが落ちたそのショックは大きいはず
人はそうやって自分の老いを静かに受け止めてゆくのだろうか
この映画は音楽もなく、淡々とストーリーが進んでゆく
まるでドキュメンタリーフィルムのよう
淡々としている時間の経過のなかで突然フィナーレがくる
切なかった
でもあれは夫の最後の「愛」だと思った
マミーちゃんは90歳を目前にこの世を去った
先週末に見た映画に影響され、今日は図書館でゴーギャンの作品集を眺めて午後が終わる。
西洋と野性の狭間に生きた絵描き、ゴーギャン。
プリミティブな光をタヒチに求めたその凄まじい生き方に圧倒されてしまった。
自分を信じきる強さはどこからくるんだろう。
絵が売れなくても、社会的評価を受けなくても、それでも、自分の信念を貫くこと、そのことがどんなに苦しいことくらいかは想像がつく。
時代に関係なく、自分の天命に従って生きるのは、時に他人からの理解を得るのは難しい。
でも関係ないんだな、他人の目なんて。
だってそれがその人の生きる道なのだから。
ゴーギャンは2年のタヒチの暮らしを終え、母国フランスに戻る。
映画はそこで終わっているが、実はその後もまたタヒチで暮らしたということを知る。
ほんとうに彼の楽園は都会ではなく、原始的な場所だったのだな、と勝手に思う。
http://gauguin-film.com/
主演のヴァンサンカッセルがとてもすてきだったし、タヒチの原住民の衣装がわたしには魅力的だった。
ああいう服が着たいです。
東京はすごい。冬でもこんなに毎日晴天なのだから。
人生の半分以上を東京で過ごしているくせに、いまだに毎年そう思う。
東京の友達に「毎日寒いね」と言われても「ふん、これくらい、たいしたことないよー」と言いたい。
新潟のあの冬の辛さと言ったら・・・。
大きな一軒家はただせさえ寒いのだ。
玄関と居間の温度は天と地よ。
トイレに行くのも「ひええー」と叫びながら行ってたっけ。
一度出てしまった鼻水は簡単には戻らない。
お正月からはや2週間。新潟の我が家はどうなっているのでしょう。
先日の積雪できっと玄関の前に雪のスロープができているかも(ほんとは階段があるですが)。。。
屋根の上の雪はまだ大丈夫だろうか。
おうちよ、なかなか帰れなくてごめんなさい〜。
ちょっとやばいなあーと思うくらいに、カレー作って食べてる。
適当にスパイスを炒めて、その日ある野菜を使って、最後にトマトやココナッツミルク混ぜて味を整えて。
繊細な味を追求していないので、かなりおおざっぱな感じで作っているんだけれど、
不思議に失敗ということは一度もなく、いつもおいしい。
作り方は結構いい加減だから、具材の順番、スパイスの量など、ちゃんと極めればもっとおいしくなると思うのだけれど、今はそういう気分でもなくて、気軽さが自分に合ってるような。
とにかく野菜が腐って食べられなくなるくらいなら、好きなカレーに変身させてしまおう、と。
市販のルーは使わないし、小麦粉も入ってないから、かなりあっさり味。
ライスはジャスミンライスとかバスマティライスとか、なるべく日本米は使わずに。
ロンドンに行ったら、インドカレー食べてきたいな。
今朝、テレビに出演されていた小沢征爾さんのことば
「音楽ってのはさ、ここ(胸を指して)とここが通じ合うものだろ。でも音を出すってのはさ、すごーく難しいんだよ。一音一音、それはそれはほんとうに難しいことなんだよ。
だからさ、音楽家はみんな、そのことでいっぱいいっぱいになっちゃって、心と心が通じ合うってことを、忘れちゃうんだよなあ〜。音楽は、そこがすごくいいとこなのになあ〜。」
なんだか、ドキっとしてしまいました。
たしかに私もギターの一音一音、声の一音一音ばかりに心が奪われていたと思います。
弾き語りをするようになって、ステージ中ではほんとうに余裕がなくなりました。
ああ、大事なことを今日は教えていただいた。よかった。