イ・ラン 日本公演

2018.3.24


韓国のシンガーソングライター「イ・ラン」のコンサートに行ってきた。
音楽に詳しい友人からのお誘いで行ったので、私は予備知識がゼロ。
事前に見ていた彼女のPVはとてもアーティスティックだったので、今日のステージもそういう雰囲気を纏っているのかなと思いきや、もうまるで違っていて、ライブはなんというかとてもカジュアルな雰囲気だった。
適度に広いホールの空間だけれど、ステージングはまるで小さなライブハウスでやっているかのような。

彼女はとても日本語が上手だった。
照明が暗すぎるとか、おきゃくさんみんながマネキンみたいだ、とか、今日は無料で招待しているお友達がたくさん来ている、とか、つきあっている日本人のタケちゃんは仙台出身で、仙台にいるおかあさんに会うために仙台ライブをやったとか。
思いついたこと、感じたこと、話したいことをそのままマイクを通して話していて、たくさんおしゃべりしていた。
曲と曲をつないだところは1カ所もなく、1曲ごとにいろいろしゃべっていた。

曲は当たり前だけれど、ハングル。
だからリアルタイムで歌詞を理解するなんてことは不可能で、なんの歌なのかわからないから、言語を音として聞いていることはよくあること。
でも、今日はステージに大きなスライドがあって、和訳の歌詞を見せてくれていた。
まるで日本語の曲みたいに、私たちは演奏を聞きながら歌詞を感じることができる。とてもよかった。

いろんな曲に「かみさま」というコトバがたくさん出てきたことが印象的。
韓国人はキリスト教徒が多いという話しも聞いたけれど、そういうことが関係しているのかどうか。
アジア圏のシンガーソングライターのステージを初めて見たので、今夜はいろいろ面白かった。
日本人とは似て非なる人達だとも思った。顔は似ていても、全然違うのだ。

イ・ランの歌を聞いていて、ふと、自分は何かにとらわれすぎていたのかもしれない、と思った。
○○でなくちゃいけない、と自分を小さな世界に押し込めてしまう傾向がわたしにはある。
普段あれこれと考えているくせに、それを音楽に変換することがとても苦手だから、曲作りがとても苦しい。
でも、イ・ランはなんでも歌にできるような柔らかさを持っているような印象を受けた。
重さも軽さも両方あるような。
いつも思うことだけれど、もやもやしているときは「自分のために音楽をやればいい」と考えてみると、すっと道が開けるような気がする。


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